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わが惣菜店「遊心亭」の新メニュー『ひじきと湯葉のポン酢あえ』おいしいです!おためしあれ (BROKENSPACE 寺田友)

「とんかつダイアリー第八回」
 
電車は程々の混み具合だった。僕はやたらと開く方の扉の近くで、ぼんやりと吊り革につかまっていた。時刻は夜の8時を少しまわったばかりで、だから車内には酔っ払いもおらず山手線は雑然とした秩序を守りつつ走行を続けた。平和というのは多分、退屈ということだ。電車が平和に駅に着くたびに退屈そうな人々が降りたり乗ったりした。


事件が起きたのはある駅でのことだ。その駅で降りたのは3人だけだった。若いサラリーマンが最初に降りた。つづいて30代後半と思しき女性が両手に大きな荷物を持って。遅れて小学校低学年らしい男の子がスキップしながら母親を追う。手にはミッキーマウスの大きな風船を持っていた。僕はぼんやりと男の子を見ていた。スキップに合わせてミッキーがこっちを向いたりむこうを向いたりした。その時、扉付近にいた大学生風のカップルの女の子が突然、小学生に話し掛けた。


「ねえ。そうやって手を振ったら風船がいろんな人にあたるでしょ?あたしもさっきまで、あなたのそばで何回もあたって嫌だったからこっちに来たんだよ。迷惑かけるのはいけない事だよ。気を付けてよね。」それほどきつい口調ではなかったが、男の子はびっくりしたようだった。降りたホームから大学生の顔を見て、気付かず先に歩きだした母親の方を見てもう一度大学生に向き直った時、扉が閉まった。


電車は再び走りだした。ちょっとした出来事に車内は一瞬静かになった気がしたが、またすぐに元の秩序ある雑然へと戻った。そう、ちょっとした出来事はあったけどそれはただの、ちょっとした出来事だったのだ。僕は再び車窓に目を移す。その後に起きる出来事など予想できようもなかった。


カップルに話し掛けたのは彼女たちのすぐそばにいた『ローリングストーンズ』のTシャツを着た若者だった。最初それは独り言に聞こえた。「風船があたるのって、そんな迷惑かなあ。」車内が確実に静かになった。誰もがもはや、ちょっとした出来事でない事に気が付いたからだ。「あの子は今日お母さんとディズニーランドに行ってとても楽しかったんだ。少しくらいはしゃぐの当たり前だろ?それ注意するほど迷惑だった?風船そんなに痛かった?」とストーンズは言った。


「痛くはなかったですよ。風船ですから。でも迷惑でした。あなたはそばにいなかったから分からなかったんでしょ。顔にだって何回もあたりました。それ注意しちゃいけないんですか?私だって言いたくなかったですよ。でも隣にいる母親が何もいわないなんておかしいでしょ?子供が楽しそうにしてたら注意しちゃいけないんですか?」


「それほどの事かって言ってるんだよ。楽しかった思い出駄目にされちゃうほどの迷惑かよ?」
そして事態はさらに動く。ストーンズが目線を彼女から少しだけ外してこう言った。「さっきから黙ってるけど彼氏はどう思うよ?」
新たなキャラクターの登場に静かに車内は騒めきたった。眼鏡の彼氏がおずおずと口を開きかけた。しかし彼女がさえぎった。ストーンズに向き直ると「この人関係ないでしょ?私とあんたの話でしょ?」


車内劇は加速する。新たな登場人物は意外な場所から舞台に上がった。それは僕の隣にいた小柄なおじさんだった。「俺もさあ、彼女よくなかったと思うよ。注意するなら母親にすりゃよかったんだ。」
彼女の反論はあまりよく聞こえなかった。車内の観客たちの無言の声がそれを遮ったからだ。僕は極度に緊張した。観客達は僕にこう言ったのだ。「ツギハオマエノデバンダ。セリフハカンペキカイ?」


長い時間が過ぎた気がした。早く新宿へ着け!僕には荷が重すぎる。無理です。できません!そして電車は新宿に着いた。逃げるように僕はホームにかけ降りた。平和な人々が次々と電車に乗り込み、扉が劇場の幕のように重々しく閉まった。


飲み会の席でその話をしたら、一人は「すげえな、それ。発言すべきだったな、乗り過ごしてもさ。」といった。もう一人が「どうせ作り話だろ。」と言った。



2006年7月12日/BROKENSPACE 寺田
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