2012年06月22日
THE TOWER WHERE WE MET 宇都宮タワーレコード閉店 僕らの舞台裏
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2月に閉店してしまった宇都宮のタワーレコード。
休暇中にそのことについてCALENDARSのカズから電話かかってきて「何かできないか」と。
時間も何もなさすぎるし、そもそもワーカーバンドで自分たちのライブすら満足にやれないバンドなんですよ。CALENDARSって。
でもね、そりゃもう何かしないわけにいかない。
カズやタカヒロと「このあいだタワーレコード行ったらさ、~が超良くてさ」なんて地元にあるレコード屋での出会いについて他愛もない楽しい会話を何度もした。
でも、そんな当たり前のこともできなくなるってのは大変なことで。
東京に出る!とか、天下とったる!ではなく地元に密着して働きながらバンドをやることや曲を作ることを選んだCALENDARSにとって、やっぱりそこは繋がりを作る上で何にも代えがたい出会いの場だったはず。
僕は長野のタワーレコードがそういう存在だったから。もっと言うならタワーレコードが進出してきた事で潰れてしまった小さなハトポッポ公園脇の店がそうだった。
最初は「単独でEPをタワレコ宇都宮限定でリリースできないか?」ってところからスタート。
デビューになったミニアルバム『Bad Ending, Good Humming』や、前身バンドCRUNCHの作品たちがお店に並んだときの喜び。やっぱりこれを最後にもう一度、お世話になったタワーで実現したかったって。
なぜ最終的に他のバンドさんに参加してもらうことになったか、というのは割愛します。とにかく、あの時点で僕らは制限がある中で「小さきものが潰れゆくものにたいしてなんか騒いでいる」みたいな話にしたくなかった、ってことです。
だから結果として参加してくれたSEEK AFTER THE SONIC、FACELESS NAME、aruku、tact、そしてhellodollyとHeaven's Rockが協力してくれたこと、彼らを巻き込めた事は何かを投げかけるきっかけにはなったと思ってます。CDはamazonでしか買えないもの、ってのが今後若い子の常識になったとしてもね
ただですね、担当者ベースで進んでいたはずのタワーレコード宇都宮店でのリリース。
「社長、心して聞いてください。本当にすみません、リリース無理そうです・・」
というショックな電話でなくなりました。僕の社長としてのネゴシエーション不足で、異例の作業をしてくれたバウンディの仲間にも迷惑をかけてしまった。ただね、こっちのことは棚に上げて話すけど
この店といろんな付き合いさせてもらってて始めて「俺を通せよな」みたいなことを普段は顔も見せないやつが言ってきたな。と。正直、それがタテワリの会社の個店が潰れるってことなんだな、とも思った。出口がないような世界で必死にやっている現場の人間が本当にかわいそうだな、とも。
DreamboyやThe Wellingtonsとか海外のバンドもその熱のこもった展開や素敵なパネル、試聴機に感動する。その裏には熱心なバイヤーや地元で活動するCALENDARSってバンドが居た。で、こんな時に何か動いてあげられるのが小さいながらも”レーベル”を続けている僕らの存在意義だとも思ってて。でも、最後は顔も見たことのないやつが何かを決めるんだな。
もしかしたらレーベルを始めてから初めてだったかも知れない。「熱意や気持ちじゃ通じない相手がいるんだ」って思ったのは。俺って常識知らずのお山の大将だったんだなって。「恩返し?いや迷惑ですよ」って言われて初めて。
「藤澤さんもまたどこかでお会いする事あるかもしれませんけど、頑張ってくださいね」
これは一生忘れない。できれば一生お会いしたくない。
大人になります。代表として。
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- at 05:07